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CDIT対談
沿岸の未来を見据えて

Monument of the Millennium
20世紀から21世紀の事業へ

平成13年3月、関西国際空港は、二十世紀の十大事業の選定を進めるアメリカ土木学会から
Monument of the Millenniumの空港部門に選ばれる栄誉を受けられました。
そこで、関空プロジェクトに深く関わられる吉川先生、古土井専務のお二人をお招きして、
現在、2007年供用を目指して2期工事が進められている関空の
構想段階から現在までを語っていただきました。

ゲスト― 古土井光昭氏

関西国際空港用地造成
(株)代表取締役専務

ゲスト― 吉川和広氏

京都大学名誉教授

 

司 会
(財)沿岸開発技術研究
センター
専務理事 中村 豊

二十世紀の十大事業のひとつに
中村 関西国際空港(以下、関空)は、平成十三年三月にASCE(アメリカ土木学会)が選定する二十世紀の十大事業の空港部門に受賞する輝かしい栄誉を受けられました。しかし、その方で昨年の報道等による関空バッシングという不名誉なこともありました。そこで、関空について多くの方々にきちんと理解していただくために、この対談を企画させていただきました。
 本日は、関空プロジェクトの構想段階から現在もご指導いただいています吉川先生と、運輸省在職時に調査段階から中心的にプロジェクトに取り組まれてこられた古土井専務にご出席いただき、お話を伺えればと考えております。
 まず、今回の受賞についてその意義や感想についてお話いただけますでしょうか。
古土井 この賞は、チャレンジ精神に溢れた世界各国のプロジェクトに対して、ASCEが十部門からMonument of the Millenniumを選定しようという試みです。水路部門でパナマ運河、建築部門でエンパイアステートビル、橋梁部門でゴールデンゲートブリッジがそれぞれ受賞する中で、関空が空港部門で賞をいただいたと聞いた時に、改めてこのプロジェクトの位置付けを理解したような感じがしました。
 これを一つの糧に二期工事でさらにいい成果を挙げて、この名を辱めないものにしたいと思っています。
吉川 平成六年九月の開港以来、関空は国際航空ネットワークの拠点空港として、世界に対する我が国の役割を果たすとともに、二十一世紀の関西圏の再活性化にも大きく貢献していると思います。この時期にASCEからMonument of the Millenniumに選定されたことは、誠にこの上ない栄誉なことだと思います。
 関空プロジェクトが、二十世紀における世界の最高水準の土木技術を駆使して達成されたことが、国際的に認められたことで、関係された皆様のお喜びもひとしおであったと思います。このようにご挨拶して親愛なる敬意を表したいと思います。

胎動から着工まで
中村 関空プロジェクトは、工事の着工に至るまでに長い歴史があったと思います。そこで、プロジェクトの胎動から着工までを振り返っていただき、当時の思い出などをお聞かせいただきたいと思います。
吉川 関空の本格的な調査が始められたのが昭和四十三年です。当時、運輸経済研究センター(以下、運研センター)にいらっしゃった喜田健一郎氏から、参加要請をいただいたことが、私が関空に関わることになるきっかけでした。
 そこで、まず空港計画を勉強する参考書として、ロンドンに第三空港をつくるために行われた調査結果をまとめた『ロスキル・レポート』を入手して、それを元に勉強を始めました。
 関空の必要性、空港の位置の選定、空港の規模、施設計画、航空管制、アクセス交通。それから周辺地域の整備、施工計画から施工技術に関して勉強しました。その結果、陸上、海上を含めて七カ所の候補地を選び、さらに四カ所に絞り込み昭和四十六年に航空審議会に図って審議をしていただくことになりました。当時としては珍しく二年十カ月の長時間をかけて議論いただき、昭和四十九年に泉州沖最適という答申をいただきました。
 当時の問題の一つは、一九七〇年代に世界的な問題となり、社会問題化した航空機騒音問題を始めとする環境問題でした。地元ではどこも空港建設反対の立場で地元議会が反対決議をしている状況でした。
 そこで、関空は日本の大規模プロジェクトとしては、初めて環境アセスメントを行いました。
 まず、中立的な立場で審議する必要性から関西国際空港調査会(以下、関空調査会)が設立されました。この調査会の会長に京都大学元総長の奥田東先生が就任されました。当時は、関空に批判的な先生方が非常に多かったわけですが、そういう方にも調査会に参加していただき、可能な限りの調査を行い合議により総合的に判断しました。そして、空港の設置がその影響を受けると想定される地域において、環境基準を達成し維持していく上で支障とならないという結論をいただきました。
 次の問題は、事業主体をどうするかということでした。地元では空港公団を要望されましたが、国の財政事情が厳しいことから民間活力を活用せざるを得ませんでした。そのような経緯から昭和五十九年六月、関西国際空港株式会社法が成立。同年十月に関西国際空港株式会社(以下、関空会社)が設立されました。
 会社設立後、まず取り組んだのが漁業補償交渉でした。補償交渉は一万人以上の関係漁民の補償という先例のない大規模な交渉となり非常に難航しました。そこで、この補償を従来の財産補償から生活補償という考え方で捉え直して、その人の生活が現在と同じような状況が成り立つように補償するという方法を考えて、これを元に交渉を進めました。
 それから、もう一つの問題が日米貿易摩擦問題です。昭和六十一年に外務省で開かれた日米貿易委員会の席上でアメリカ政府として、新空港建設に国際入札を実施するように求めてきました。その後、六十二年四月にワシントンで開かれた協議で合意に達して、関空方式と呼ばれる国内工事への外資企業の参入が確立したことで工事が進められました。
古土井 建設反対からスタートしたこのプロジェクトを進めるにあたっては、地域住民との合意形成が非常に重要な課題になりました。これを成し遂げられたのは、関空調査会の存在と推進役の民間の方々や大学の先生方の力がなければできなかったと思っています。そこに行政が加わった三者でつくり上げたことで、他のプロジェクトとはまったく違う意味合いのものになったと思います。
 私は、昭和五十七年から調査に参加しましたが、合意形成の中で非常に驚いたことがあります。昭和五十二年から五十九年まで続いたこの調査は、建設を前提にしない、調査計画は地元と相談する、調査結果は公表するという三原則を約束しているのです。この三原則を調査開始時点で約束していることは、当時の国家的プロジェクトからすれば非常に先進性があったといえます。
 その調査内容も、例えば環境アセスメントとは何か、何を環境アセスメントとするかということを、どのような調査や計算を行えば良いか、何が環境に影響を与えるとするのかという段階から始められた。さらに、その作業は反対運動に熱心だった先生方といっしょに取り組んでつくり上げられた。ですから、合意形成には時間がかかりましたが、着工後の環境面でのトラブルは全く起こっていません。

前例のない巨大プロジェクト
中村 関空プロジェクトは、前例のない巨大人工島の建設でもあり、工事にも様々なご苦労があったと思います。これまでの工事の実施面についてお話をいただきたいと思います。
古土井 空港島建設には、三つの大きな技術課題がありました。一つ目は、一期工事で一億八千万 という膨大な埋め立ての土砂をどう調達するか。その前に行う地盤改良工事に使う海砂をどう調達するか。また、大量資材と大型作業船をどのように調達するかという問題。二つ目は、水深が平均十八mと深く、さらにその下に約二十mの軟弱な沖積粘土層が横たわっていること。この大水深超軟弱地盤をどう処理をしていくかという問題。三つ目は、工期が五年間と短いこと。そのため大量急速施工をどう実現するか。この三つの問題がありました。
 資材の調達は、当時瀬戸内海の各県でそれぞれ空港プロジェクトを持っていたことから、関空に特別に資材を調達させていただくことで非常に安定したコストで調達できました。これがなければ地盤改良はできなかったと思います。
 この地盤改良については、早期に建設途上で起こるべき沈下は発生させてしまい、空港運営中に起こる沈下はできるだけ少なくするという基本的な考え方で工事を進めました。不同沈下の発生時には、上物の柱の下にジャッキを入れてジャッキアップシステムで上下調整するという方法を考えました。その結果、一三〇五mのターミナルビルが基本的には何も問題を起こさずに利用されています。
 また、滑走路にも当然地盤改良を施しました。この沈下量についてマスコミが批判的に扱っていますが、大きく沈下することも問題ですが、逆に沈下しないことも問題です。重要なのは、沈下が起こることで空港の機能が果たせなくなることです。仮に沈下量が見積りより多くなっても、空港の機能が全うされていれば問題はありません。
 そして、大量急速施工は、吉川先生にご指導いただいた工事管理システムを使いながら行いました。昭和六十年頃のパソコンの普及率は、現在のように誰もが手軽に扱えるという時代ではありませんでした。そのような状況で、このシステムをうまく活用できなかった面もありましたが、空港島建設自体は予定通り護岸築造から土砂搬入工事までを五年で完了しました。
吉川 私が、工事管理システムのお手伝いをした時には、空港島造成終了までに八年という計画を立てていました。ところが、漁業交渉や株式会社の設立等で遅れて、結局、昭和六十二年二月に始めてわずか五年間という短い工期で造成しました。これを成し遂げられたのは、新しい技術開発を進めて行われた土木技術の勝利だと思います。
 そして、地盤沈下の問題も空港機能がそれによって阻害されることになれば、我々も責任を感じなければいけませんが、そういう点では問題がないと自負しています。いずれにしても非常に困難な工事を不屈の技術者魂と新技術の開発によって乗り越えられて一期を完成されたことを私は高く評価しています。
情報公開への取組み
中村 昨年から関空についてマスコミによる関空バッシングが行われています。このような報道に対して、ご意見やこれからの取り組み方について伺いたいと思います。
古土井 空港は、サービスを提供していくところですから、最終的なユーザーであるお客様に対して親切であるべきだと思います。ですから、ユーザーに安心してもらうという意味では、報道各社にきちんと理解していただくことが必要だと思います。いままで、そうしたサービス精神が欠けている部分があったのではないかと思います。
 空港そのものに魅力を感じている人は多いわけですし、悪意に満ちたマスコミばかりではないと思います。むしろ悪く書かれたら、それを自らに対する反省材料だととらえて、積極的な宣伝広報を行えば、バッシング報道は自然となくなると思います。
 関西国際空港用地造成株式会社(以下、用地造成会社)は、まったく違う発想から二期工事の見学ホールをつくりました。例えば、工事現場を覆う塀に穴や隙間があれば好奇心から覗きますよね。その発想を拡大して、覗かれるのならば積極的に見てもらおう、見てもらうのならばそれについて理解してもらおう、という考え方で行っています。
吉川 昨年の秋頃から、新聞各紙で二期工事は本当に採算が採れるのか、あるいは二期工事を中止せよという主旨の社説が掲載されました。このような非常にセンセーショナルな見出しが新聞に出たことで、多くの方が不安を持たれたことは事実です。
 しかし、我々は技術者の良心に基づいて、地道に関空を支える仕事を一生懸命行っているわけです。それが一般の人々に伝わらないということが非常に残念でした。
 このような問題が起こった原因として、これだけの情報化社会の中で、一般の人々の不安が非常に強まったところに情報開示が遅れたことが重なり、誤解と不安を招いたのではないかと思っています。
 そこで、これまでの関空プロジェクトの経緯を整理してまとめた『関西国際空港の真実』というパンフレットを作成しました。これによって大阪府議会を始め、地元の新聞報道による関空に対する危惧の念が一掃されました。また、関空二期を推進する地元の声が起こったことも事実です。
 関空会社や用地造成会社のホームぺージも情報を公開するなど、非常に良い方向に進んでいると思っています。

二期工事着工まで
中村 平成十一年七月から二期工事が着工されております。平成六年の開港から二期工事の着工までの経緯を吉川先生からお話しいただきたいと思います。
吉川 二期工事を立ち上げるまでに大きな問題が二つありました。
 一つは、関空の二期を国に認めていただくために、二期の事業主体と資金スキームをつくらなければいけないということ。一期では、関西経済連合会(以下、関経連)が中心となり、関空会社が設立されましたが、二期では関経連が手を引いてしまいました。そこで地元自治体が中心となり、関空全体構想促進協議会をつくりました。その中の全体構想実現化方策検討委員会で学識経験者の方々と事業手法と資金計画の検討を行いました。
 その結果、地元では資金分離方式を考えました。この方式は、関空会社の経営を安定させるために、用地造成に関して公的主体が資金を出す。そして、自治体が関空会社に無利子の貸付を行い、関空会社が工事の事業主体となって工事を進める、という方式です。
 それに対して、運輸省が、一部事務組合を自治体がつくり空港用地の造成を行う。それを関空会社に賃貸、または長期分譲を行うことで関空会社の経営を助けるようにする、という主体分離方式を提案しました。
 このどちらの方式で行うか。リスク発生時を考慮した上で、非常に議論されました。結局、主体分離方式を採用して、国も関空会社を通して出資する形で用地造成会社を設立して、二期事業を進めることを決定しました。リスクに関しては、国も自治体と発生時は分担する形で進めることにしました。
 もう一つ、飛行経路の陸上ルート問題がありました。運輸省は平成八年に関空の飛行経路の現状と問題点について大阪府、兵庫県、和歌山県の地元三府県に説明を行いましたが、この問題は、空港と周辺地域との調和に関わる問題をはらんでいます。
 そこで、運輸省は飛行経路を科学的に検討するため関空における飛行経路検討調査委員会をつくりました。それに対して、地元では公正な立場の専門家に検討していただき、疑問点を運輸省に質していくという方針を打ち出して、平成八年十二月に大阪府が関空の飛行路等に関する専門家会議をつくりました。
 そこで、運輸省の調査委員会で検討した結果をこの専門家会議で議論して、出てきた疑問点を再度運輸省の検討委員会で検討して回答を出すという方法をとりました。その間、航空管制のシミュレーションの実施、陸上ルートの設定に伴う騒音コンター計算、二回にわたる実機テストを行い、結果として騒音がないと理解していただいてようやく認めていただきました。
中村 このような事業スキームをつくっても空港能力に対する取り組みが立体的なものにならなければうまくいかないと思います。そのような二期工事の実施態勢のとりにくさはなかったでしょうか。
 また、二期工事は一期よりさらに厳しい条件下での工事となります。この点につきまして、現在の工事の状況等を含めてお話しいただければと思います。
古土井 上下主体分離方式は、最近行われる大型公共事業の一つの底流になっていると思います。二期事業ではそうした手法を先駆的に行いました。
 しかし、用地造成会社で事業を進めるには人員が不足していました。そこで、関空会社は出向者を受け入れていますから、その人材を活用する方法をとりました。私どもが関空会社に作業を委託して、その指揮を私どもが執るという方法です。このような組織のあり方は変則的ですが、現在は基本協定を結んで非常に機能的に行われています。
 現在の二期工事の状況ですが、調達する埋め立て土量は一期の四割増。軟弱地盤もさらに水深が深く、さらに軟弱地盤層が厚く、サンドドレーンの本数も一期の二割増。打設延長は五割増になります。このような条件下で事業に取り組んでいますが、特筆すべきはITの勝利ということかもしれません。
 例えば、人工衛星を利用したGPS(全地球測位システム)と深浅測量を面的に測量するナローマルチシステムというシステムとを結び、全てのデータをデジタルデータで処理しますのでデータの検討や操作がすぐにできます。また、データは全てビジュアル合成できますから、処理スピードや量的な処理の多さは、一期とは比べものにならないものになっています。また、そうした操作を行う人も増えています。そういう意味では、困難さは増していますが、それを余りあるような技術革新の成果をふんだんに使わせていただいています。
 着工から約二年経ちましたが、工事は順調に推移しています。年末までには護岸の概成を果たし、二〇〇四年末までには中央部分の埋め立てを完了。それから二〇〇七年には少し時間的に余裕を持った形で、新しい滑走路の供用が実現できるだろうと思っています。
 コストについても、比較的資材の調達が安定的にできたこと、作業機械が大型化したこと、夜間工事の実施による効率的な施工といったことから、工事費が縮減されました。そのような状況で今のところは非常に順調に推移しています。

二〇〇七年供用に向って
中村 平成六年の開港以来、二十四時間運用の国際ハブ空港として、関西地域はもとより全国から関空を経由して海外へ行かれる方は大変多くなっていると思います。
 また、二〇〇七年から二期の供用によってさらに機能の充実が図られていくと期待しております。最後に、これからの関空への期待あるいは抱負をお聞かせください。
吉川 二十世紀の終わりに、運輸省港湾局が中世から近世に変わった大航海時代と対比させて、二十一世紀は大交流時代になると言っていましたが、まさに世界全体がネットワークで結ばれて、交流と連携によって発展していく時代が実現してきたと思います。そういう意味で、これからの空港の役割は非常に重要になってきます。関空を名実ともに世界の中での国際ネットワークの基幹空港としていくために、二期事業をMonument of the Millenniumの栄誉を胸に秘めて、常に新しい技術の開発に努めていただいて、立派な成果を挙げていただきたいと思います。
 二十一世紀は、サスティナビリティー、クリエイティビティーが重要と言われています。地域あるいは環境に非常にフレンドリーな空港づくりを目指して、国民の皆さんが世界に誇れる財産に育てていくこと、また、創造的な世界都市を実現して世界の要請に応えていくことが重要であると考えています。そのような使命を担っている二期事業が着実に進められ、大きな成果が挙げられることを期待しています。
古土井 私は、関空の一期と二期の関係は、一つの空港に並んで新しい空港ができることではないかと思っています。その二つの空港が相互に連携しながら一つの大きな空港になっていくということです。そういう意味で、一期の時には実現できなかったものが、二期では実現できるようになると考えています。
 それから、ハブ空港として国際線と国内線を非常に有機的に結びつける役割です。国内の様々な人に利便性を与えるために、国内の各地域と有機的なネットワークがあり、それを前提にして外国から帰ってきた人がすぐに国内に行ける。あるいは国内の人がすぐに外国に行けることができれば、どのような目的で関空に到着しても相当に利便性の高い空港になると思っています。ですから、国際ハブではなく、国内ハブ的なイメージで、現在利用している方々にもっと親しまれる空港になってほしいと思っています。


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