沿岸域の持つポテンシャルが 新エネルギー開発のキーとなる 二十世紀の資源乱用への反省から、世界的に再生可能エネルギーの開発が進んできました。特に、沿岸域に無尽蔵に眠る自然エネルギーは、二十一世紀のエネルギー問題を 解決する可能性を秘めているといえます。そのうち前回は海洋が持つエネルギーを取り上げましたが、ここでは風力と太陽光にスポットを当ててみたいと思います。 風車から風力発電へ 風力の利用は、太古の昔、まず船に帆を張って走ることから始まりました。風が動力となるという発想と、「ころ」から「車輪」に発展していった回転運動の活用が結びついて、帆船のカンバスを張った翼を用いた風車が出現し、紀元前一〇〇〇年頃には製粉用に風車が作られたといいます。 風車は北ヨーロッパの平原地方に広まり、十四世紀以後はヨーロッパの平原での重要な動力源として利用されました。しかし、十八世紀の蒸気機関の発明、十九世紀後半の内燃機関の発明により風車の利用は減少しました。 そして、風車の動力に着目した風力発電の歴史は、十九世紀のデンマークに始まります。一八九一年、ポール・ラ・クール(物理・数学教師、〜一九〇八年没)が高さ十一m、四枚翼の幌付き風車を勤め先の学校屋上に建て、風車による発電を試みたのです。自前の動力をエネルギーに変える動きは、ドイツと国境を接しているために大戦の度に燃料補給線を封鎖されてきたデンマーク政府のエネルギー確保の国策とも合致しました。特に第二次世界大戦後、大規模な風力発電装置の開発に熱心になり、デンマークが発電用風車の世界のシェアの過半数を占めるまでに成長していくのです。 一方、日本ではヨーロッパの約二倍に達する降水量と、起伏の多い地形から急流が多く、水車が動力として活用されてきました。風車利用は、明治初期、横浜の米国人の居留地で水汲み用に利用されたことに始まります。 一九二七年に、NHKラジオで”我国農村動力としての風車の利用“が放送され、各地に風車が広まりました。長野県諏訪湖南では、泥炭層の窒素分が溶けた黒褐色の地下水を風車で汲み上げて、水田の肥料にしました。堺市では、一九二八年に水田への灌漑を目的として風車が導入され、一九五〇年代前半まで使われていました。茨城県土浦市では台地の開墾田で風車が用いられ、最盛時の一九三六年では一〇〇〇台以上あったといいます。 また、風車が発電に使われた例もあります。一九三八年、稚内に最初の発電用風車が設置され、風の強い海岸に二枚翼の直径一・二mのプロペラで二〇〇Wを発電しました(風速七〜八m/秒)。北海道庁と農林省の補助もあって、開拓農家を中心に一九六〇年頃には一万台ほど普及していました。 しかし、本格的な風力発電が開発されるには、地球温暖化や環境汚染といった厳しい現実を突き付けられることが必要でした。 日本にも風があった?! 自家用の動力程度にしか使われてこなかった日本の風力。それを本格的なエネルギー源とする風力発電システムを研究対象にした草分けの研究者が、足利工業大学の牛山泉教授です。 「オイルショック後、私の専門だったガスタービンはかなり大量に燃料を消費するので、エネルギーを使わないですむようなものはないだろうかと考えていました。
しかし一九八〇年代半ばまで、日本には台風はあるが風力利用に適した風は吹いていないといわれていました。牛山教授が研究を始めたころも、先輩の教授から『研究対象にもならない』と指摘されたりもしたといいます。 「通産省のニューサンシャイン計画の一環として、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)によって八年間にわたって実施された風況観測の結果、一九九三年度に全国風況マップが作られ、日本にも相当量の風力資源があることが明らかになりました。 それによると、風力発電が経済性を持ち得るとされる年間平均風速毎秒六m以上の地域は、日本全土の七分の一に相当します」
・風車設置工事に困難さを伴わない急勾配な土地でないこと、アクセスできる道路があること、あるいは敷設が容易であること ・発電した電気を需要地まで送電するのに遠くないこと ・風車から発する騒音が障害とならないように住宅地から四〇〇m以上離れていること ・航空信号所や電波信号所が近接しないこと ・渡り鳥などの飛行経路にないこと 平均風速六m/秒以上あるとされる地域全体に、当時の実用的な発電風車を適当な配列で設置すると、合計二五〇〇万kWの風力利用可能性があり、それは当時の日本の年間発電量の二〇%に当たります。さらに、これらの立地条件などを考慮し、仮に国土の一%に実用風車を適宜に設置した場合には、電力需要の五%を風力発電で賄えるとも試算されています。 風力発電に追い風となったこと オイルショック後、石油に代わる新しいエネルギー源を考えなくてはいけないという気運が高まり、NEDOが中心となって、太陽光を始めとする新エネルギーの研究を進めてきました。八〇年代の初めから、風力もスタートしましたが、八〇年代はさほど目覚ましい研究はありませんでした。 ところが、九〇年代になって、石油の枯渇の問題はもちろんのこと、それ以上に環境問題が取りざたされるようになりました。すでに欧米では風力発電の実用段階に向けた研究が進んでいました。 日本でも、九〇年代に入るとどんどん風車を建てようという気運が高まりました。牛山教授にとっても文字どおり追い風になったわけです。 「日本でも風力発電に注目が集まることになったきっかけは、九〇年代の初めに自家発電で起こした電気を電力会社の系統に流しこんでもよいという、逆潮流を可能にしたことにあります。それまでは、自分のところで起こした電気は自分のところで消費し、電力会社に買い取ってもらうことができませんでした。逆潮流を可能にしたことが非常に大きな促進材料となり、それなら自分のところでも発電してみようかというところも多く出てきたのです。 日本の風力発電の特徴の一つは、電力会社より地方自治体が熱心である点です。それは、日本に風車が根付いていなかったため、大きな風車が建つこと自体シンボリックなできごとで、町興しにつながります。さらに、起こした電気を売って収入になるとすれば一石二鳥です。そのため、自治体が非常に熱心になりました」 一九九四年以来、毎年、『全国風サミット』が開かれています。初めは山形県立川町において十三市町村でスタートしました。立川町の町長は、現在、風力発電をする自治体の集まりの会長になっている館林茂樹氏で、牛山教授も名を列ねる『日本風力エネルギー協会』を訪ね、冬はシベリアからの北西の季節風による地吹雪、夏は内陸部からの”だし風“による冷害に泣かされていると訴えました。
「自然現象を嘆いても仕方がないので、その弱点を逆手に取り、それをうまく使うことを考えるべきだと助言しました。風車を建てれば、今まで泣かされていたものが、恵みの風になるとアドバイスしたのです。恐る恐る風力発電に着手してみると、マスコミにも何度も取り上げられ、町興しとして非常にうまくいきました。 立川町の事例のシンボル効果もあり、あちこちの風の強い地域で、町興しに風車をということになりました」 さらに、一九九七年より、NEDOが風力発電を事業としてやるところにも補助しようということになりました。一九九九年、北海道の苫前に、直径六〇mで一〇〇〇kW級の風車が二〇台建てられました。二〇〇〇年は電源開発が同地区に、さらに大きい一五〇〇〜一六五〇kW級の風車を十九台建て、この地区のトータル発電量は五万kWにのぼっています。 もちろん、風力発電が広がる背景には、技術的進歩も見逃せません。 「初期の頃の大型風車は、主に飛行機会社が作り、あまりうまくいきませんでした。というのは、飛行機会社の作る風車は、どうしても耐久性があまりなく、トラブルがあります。金属製の羽根(ブレード)にしたら、雷が落ちてだめになった例などもありました。今はFRPという軽くて長もちのする樹脂も出てきました。 風車と発電機は既存のものを組み合わせましたが、羽根の形が風車にぴったりかどうかより、それまでの飛行機に適したプロペラの形をそのまま持ってきたため、どうもよくありません。実は、風車の羽根と飛行機のプロペラとを比べると、風を切る速度については、飛行機のほうがひと桁速い。例えば風車の場合、風を切る速度は時速一〇〇km以下であるのに対して飛行機では、ゼロ戦などでも五〇〇kmにもなるのです。最近は、風車専用の、要するにゆっくり当たる風に対して相応しい羽根の形ができました。 一方、発電機も改良されました。例えば、風の弱いときは回らず、反対に強すぎるときも回らないように、ある範囲の風速だけに作動して、風速の一定幅の帯域でしか使うことができませんでした。ところが発電機を工夫し、弱いときは少ない電力を発電し、風が強くなっても回転を上げてどんどんエネルギーを取り込める可変速発電機が出てきました。 こうした技術的進歩があって、軽量で大きな出力を生み出せる風力発電装置が出てきたのです」 電力事業についての規制緩和と、技術進歩があって、自治体も事業者も風力発電事業に参入して風力発電のトータル発電量が伸び、現在、日本全体で既に一五万kWに達しています。しかし、世界の風力発電設備は、二〇〇一年四月現在でも一七七〇万kW(大規模原子力発電所一八基分)に達しており、日本の発電量はその一%にも満たないのです。 ![]() 風車の建つ位置は 陸上から洋上へ
一方、日本の場合、山がちな国土と人口稠密なため、発電効率のよい大型化した風車の立地に適した地域が、ヨーロッパ以上に少ない。日本での洋上発電の可能性を探るため、洋上での風力エネルギーがどのくらいあるかの調査に当たった日本大学工学部数理工学科長井浩助教授にお話をうかがいました。 「海岸の船舶気象通報用観測灯台と河川河口管理事務所で観測された風向・風速のデータを基に、地形などの影響因子を考慮して、近隣海岸における高さ四〇mと六〇mにおける平均風速と風向を推定しました。ちなみに、四〇mは調査当時日本に導入が進んでいた五〇〇kW級風車の回転中心までの高さで、六〇mは二〇〇〇kW級風車の回転中心までの高さです。 さらに日本の海岸線のうち設置可能と判断される六五〇〇kmに、それぞれの風車を海岸から一km幅と三km幅に適宜配置したとして、どのくらい発電量があるかをシミュレーションしました。すると、大型の二〇〇〇kW級風車を幅三kmと一kmに適宜建てていった場合の発電量は、一九九九年度の総販売電力量(四〇二億kWh)のそれぞれ四六・九%、一六・四%に当たります。 日本における洋上風力発電の潜在的な発電能力が十分あるのは明らかです」 潜在可能性と同時に洋上の風には次のような利点もあります。 ・陸上より風速が大きく、海岸から離れるにつれて逓増傾向もある ・風の乱れが小さく、風車の機械的疲労を低下させる ・風の鉛直方向の速度変化率が小さいため、風車の高さを陸上より低くできる ・風速の時間変動が少なく安定した風のため、風力発電の設備利用率が高まる これらの特徴を踏まえ、洋上風力発電システムでは、三枚羽根ではなく、二枚羽根で高速回転したり、発電機の定格回転数を一〇%程度上げて風の最適利用を図ったり、風車の高さを下げて建設コストを低減することが可能となります。 もちろん課題もあります。洋上風車では波圧、あるいは浮氷を考慮した基礎の設計が求められるほか、海底ケーブルの埋設やメンテナンスのための方策も必要となります。一方、環境に対する影響では、騒音はほとんど問題にならないものの、生態系や景観、近隣の漁業活動への影響なども考慮しておかなければなりません。しかし、基礎に漁礁を付加することで漁業との共生も可能性があります。
まずは実証プラントをつくり、実際に洋上風力発電を稼動させた場合のデータ蓄積が重要だと思います。実際、日本でもいくつか洋上風力発電が検討され始めています。例えば、北海道の瀬棚町の沿岸で高さ三mで年平均七・九m/秒の強風が観測されており、港湾の静穏海域に六〇〇kW風車二基を設置するプロジェクトが具体化し、二〜三年後には我が国にも洋上風車の誕生が期待されます。」 海については電力大消費地である都市周辺にも未利用のエリアが多く、そうしたエリアでは電力容量の大きな送電網も近隣まできています。つまり、まだ緒についていない洋上風力発電を創成するのに有望な海域も多々あると考えられます。しかし、これまで新エネルギー開発のプロジェクトに名前が挙がってこなかったために、法整備や導入支援制度、海域使用上のルール作りなど必要不可欠です。 現在、(財)沿岸開発技術研究センターでは、洋上風力発電の導入促進に貢献することを目的に、学識経験者で構成される委員会のご指導のもと、民間各社と共に洋上風力発電基礎の設計・施工手法に関する共同研究を行っています。
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